ペンギンは野菜と雑談が大好物

ペンギンが日常で気になったことや思った事を野菜食べながら書くブログです。

10年前、あの時東京で

 

 

 

こんばんは。ペンギンです。

 

 

 

 

今日は3月11日。東日本大震災から10年経ちました。

 

 

 

私は10年前のあの時大学生。

 

 

 

都内の塾で大学受験塾講師としてバイトをしていました。

 

 

 

今はかなり大きく展開している某塾なのですが

 

 

当時はまだ規模も小さく。

 

 

社長が塾に来たら、社長のお金でピザの宅配とか

 

 

ハンバーガーの宅配とか

 

 

してアットホームな感じでした。笑

 

 

 

塾にいるいつものメンバーみたいなのもあって

 

 

生徒も含めみんな仲良しでした。

 

 

 

 

 

 

10年前のあの日は大学は春休み中。

 

 

 

そして一通りの大学受験も終わりの頃。

 

 

大学受験した生徒の結果を聞いて記録したり

 

新しく入塾する生徒のカリキュラムを組んだり

 

来年受験する生徒・浪人する生徒の授業をしたり

 

 

春休み中はこんな感じで過ごしてました。

 

 

当日も朝から出勤して、授業したり資料作ったりしてました。

 

 

周りの講師も大学生なので仲良しメンバーも朝からいて

 

 

いつも通りの楽しい日。

 

 

 

 

お昼も食べて、講師室にいました。

 

 

 

 

そしたらドン!!!!って音がして

 

 

下からなんか突き上げられる?ような衝撃。

 

 

 

でグラグラ揺れだして・・・・

 

 

最初は

 

「あーまた地震か」

 

 

ぐらいにしか思ってなかったのですが

 

 

 

どんどん大きくなる

 

 

 

ドアノブがついてないタイプの扉が

 

 

バタンバタンと衝撃に合わせて開閉してすごい音。

 

 

 

 

「これはやばい」

 

 

 

みんなそんな戸惑いの顔をしたあと

 

 

 

 

上に階にいる生徒を逃さないと!!!

 

 

って事で

 

 

 

講師室から出てすぐにある階段の上に向かって

 

 

降りてきて!!!!!!

 

 

 

みんなで叫び

 

 

 

授業中の講師・生徒たちが駆け下りてきました。

 

 

 

自習室にも残ってないか見てきてくれたので

 

 

 

生徒を全員外に出してから講師もダッシュで階段降りました。

 

 

 

 

 

 

外に出てみると大勢の人がいて

 

 

 

ビルを見上げてました。

 

 

 

東京はビルの密集地なので

 

 

 

大きな揺れで今にも隣のビルに当たりそう。

 

 

「これビル大丈夫?こんなビル揺れる?」

 

「意外と倒れないんだ・・」

 

「建築すごい・・」

 

「それにしてもこんな大きな地震びっくりしたー」

 

 

 

とかみんなまだ状況が把握出来てないので

 

 

呑気にこんな事を話していました。

 

 

揺れも収まり、周りのビルから出てきた人も

 

 

中に戻り始めたので

 

 

 

状況確認のため私たちも戻りました。

 

 

講師室には壁一面本棚のスペースがあったのですが

 

地震対策がされていたので転倒していませんでした。

 

地震対策は大事。

 

テレビはなかったのですが

 

 

PCが何十台もあったので

 

 

それぞれ席について状況確認

 

 

思ったより深刻な状況にみんなだんまり。

 

 

とにかく東京の交通機関も止まったので

 

 

生徒達に確認し、親が迎えにくる子たちは講師室に。

 

親に連絡して、歩いて帰れる子たちは帰宅。

 

 

そんなこんなで慌ただしかったので、最初の状況確認だけして

 

 

あとはみんな対応に追われてました。

 

 

講師達は帰るの諦めてしばらく塾にいようとなったので

 

 

 

近くのオリジン弁当にご飯だけ確保しておくか・・・

 

 

 

って感じで買いに行ったら

 

 

みんな思うことは同じらしく

 

ほとんど売り切れでした。

 

 

ギリギリ、自分たちの分が買えて塾に戻る。

 

 

お弁当を待っているその間に自分たちの親や祖父母に安否確認。

 

実は私、祖父が亡くって翌日で1回忌だったのですが

都内ですが祖母が1人で大丈夫かすごく心配だったので

 

電話繋がって話した時は号泣してしまいました。

 

 

 

 

 

塾に戻って、やっと一段落だね〜

 

 

なんて言いながら座ったら

 

講師の1人が

 

 

 

「え・・・」

 

 

 

 

とPC見て固まっていたので

 

 

みんなで覗きに行ったら

 

 

 

あの衝撃的な東北地方の映像。

 

 

 

言葉を失いました。

 

 

あの映像の衝撃を鮮明に覚えてます。

 

 

今書いてるこの時も鳥肌がたちます。。

 

 

 

 

これが日本で起きてるの?

 

 

 

これはどうなってるの?

 

 

もう頭が追いついてなかった記憶があります。

 

 

 

その後は速報を見ながら

 

 

とにかく今は何も出来ないからって電車回復するまで

 

 

資料を作ったりしてました。一応時給発生してたので。

 

 

あととてもじゃないけど

 

 

みんなで雑談する気分でもなかったです。

 

 

電車が回復してからそれぞれ帰りました。

 

 

家は細々したのは倒れてましたが

 

 

大きな被害はなく。

 

 

 

 

 

 

ただ心配なことがありました。

 

 

 

 

仲良しメンバーの中の1人が

 

 

 

 

福島県の海の近く

 

 

津波の被害が大きい地域の出身者だったのです。

 

 

 

本人も状況が飲み込めてなくて

 

 

呆然としていました。

 

 

 

 

もちろんご両親や友達とは連絡がつかなかったので。。

 

 

 

その後かなり日数が経ってからわかったのが

 

ご両親は無事。

でも地元の友人の大勢が亡くなったと聞きました。

 

 

 

 

 

 

彼は今、地元を盛り上げるために色々していて

 

 

メディアにも出てるちょっとした有名人となりました。

 

 

強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

計画停電

 

ACのCM

 

 

今の日常とは違う

 

 

今まで経験したことない日々でした。

 

 

いろんな国からの応援メッセージもありましたね。

 

 

 

東京の震度5であの衝撃。

 

 

現地にいた方々の恐怖や悲しみは

 

私なんかがはかることは出来ません。

 

 

 

 

 

私は本当に平和ボケをしていたので

 

 

自分が生きている間というか大人の間に

 

こういう事が起きるなんて想像していなかったです。

 

 

私が小さい頃に阪神大震災がありましたが

 

本当に未就学児のときだし都内にいたしで。。。

 

 

 

 

 

 

 

あの日から色々意識は変わりました。

 

 

 

防災用品への意識。

 

避難場所の意識。

 

地震に敏感になること。

 

171の使い方。

 

 

 

 

避難場所なんて今まで把握していなかったのですが

 

 

引っ越し先でも近くの避難場所はどこかなと

 

 

把握するようになりました。

 

 

 

 

 

 

先月の地震もそうですが、

 

その後ニュージーランド沖での地震もあり

 

 

 

なかなか不安な時期ですが

 

 

出来ることをしっかりやる。

 

 

これに尽きます。

 

 

私にはペットのわんわんがいるので

 

 

 

家にいない時にもし地震がきたらと考えると恐ろしいです。

 

 

 

 

家の中で背の高いものや、テレビには地震対策しているので

 

 

マンションが崩壊しなければ大丈夫だと思うのですが。。。

 

 

 

 

 

3月11日を風化させずに。

 

 

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それでは。